コラム 第11回

古賀さんとの思い出

古賀稔彦―――。
柔道家であれば、その名を知らない人はいないだろう。

古賀さんがバルセロナで金メダルをとったとき、僕は小学6年生だった。
当時、ひざを怪我していたという“ドラマ”のことはよくわかっていなかったが、外国人選手を豪快に投げ飛ばしていくのをテレビで観ていて、かっこいい選手だなあと思った。
オリンピックの後、しばらくの間は、稽古のときに、古賀さんの「一本背負い投げ」をよく真似したものだ。
古賀さんの技のキレや美しさに、ただただ魅了された。

古賀さんの母校が講道学舎だったことを知ったのも、ちょうどその頃だった。
「こういうところにいかないと、こんなに強くなれないのか」
「生まれ育ったところで柔道を続けていても、世界やオリンピックで勝てる選手にはなれないんだな」
と、子どもながらに思ったことが、その後、国士舘に進学するという選択に影響を与えたのだと思う。

古賀さんと僕は、ひと回り以上歳が離れているので、一緒に練習をしたこともないし、大学も違うので、柔道についてアドバイスをもらったこともない。
接点を持つようになったのは、社会人になってからだ。
大会などで会うと、「よう!」と明るく声をかけてくれたのを覚えている。

全日本のコーチをしているときには、「コーチって大変だよな、頑張れよ」と、大変なところに共感してくれて、経験者としての立場でいろいろな話をしてくれた。
なので、僕らも愚痴を言いやすかったし、いい意味で、立場を理解してくれている人だなと思っていた。

また、同じ金メダリストとして、「メダルだけでなく、世間の誰もが認める肩書きをきちんともっておかないといけないぞ」とキャリアのアドバイスをしてくれたこともあった。

古賀さんには、「この人についていきたい」と思わせるようなカリスマ性があり、その魅力は、部外者(後輩でもない一柔道家)である僕にも十分に伝わってくる存在だった。そして、金メダリストとして、型にはまらない自由な生き方をしている人だなあと感じていた。
とにかく、いつお会いしてもギラギラしていて、充実されているのが伝わってきて、パワフルだった。

世界中に名の知れた柔道家が、こういったかたちでなくなってしまったことはとても残念だ。
今は驚きの方が大きくて、古賀さんの死は、日本柔道だけでなく、世界の柔道家にも少なからず影響を与えていると思う。

でも、時代は流れていくわけで、僕らも時代に乗っかって生きていることに変わりはない。

オリンピックで金メダルをとるだけじゃない、人として、指導者としての強さ、そこにある柔道への愛や想い。

古賀さんが今まで発信されてきたことを、僕らはもっと勉強しなければならないと思うし、そういった大先輩がいたことを肝に銘じて、これからの日本柔道の強化はもちろん、古賀さんが晩年力を注がれていた「古賀塾」のように、柔道界を支える基礎となる部分を固めることも忘れちゃいけないなと思う。

古賀さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

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